~故宮博物院~ 概要 |
旧称は紫禁城。北京市の市街中心部に位置します。明・清両代の皇宮で、1406年に着工、同18年に基本的に完成し、それ以来560年余りの間に24人の皇帝が主となった場所です。72万余りの敷地には9000室余りの建物があり、延床面積は約15万。周壁は長さ約3kmで、周壁の外側に幅52メートルの堀がめぐらされています。...→詳細を見る |
~天壇公園~
概要 |
天壇は昔、天を祭った場所である。北京にある「壇」建築(日壇、月壇、地壇、社稷壇、先農壇)の中天壇の面積はきわめて広い。総面積はは270万㎡、故宮のそれの4倍を超える。鳥瞰すれば、建物は「回」の字型に配されている。内外の二つの壁が敷地を囲み、外壇(外壁)の長さは6416m、内壇(内壁)の長さは3292m。...→詳細を見る |
~八達嶺~
概要 |
八達嶺長城は、北京から約60キロ離れた居庸関の北に位置する。
保存状態がよく、長城の中でも代表的な区間で観光客が最も多い。長城の城壁は、中国が統一された秦の始皇帝の時代に、「匈奴」の侵略から領土を守るために建設され、その後、城壁は拡大と延長され、明朝の時代に完成したといわれている。城壁の総延長は、7300キロで、...→詳細を見る |
~頤和園~
概要 |
北京中心部から北西12キロの郊外に位置する。中国国内で現存する最大の皇室庭園で、海外でもサマーパレスとしてその名が知られている。頤和園は1750年、当時小規模な行宮があった場所に乾隆帝が庭園を造営したのが始まりで、当時の名を清漪園といった。...→詳細を見る |
~定陵博物館~
概要 |
定陵博物館は遺跡性特別テーマ博物館である。 定陵は1584年~1590年までの6年間を費やし建立された。 明の万暦皇帝の朱翊韻と孝端、孝靖の2人の皇后を、 合葬するための墓だった。 定陵は山地の上2部分を墓として造って構成する。...→詳細を見る |
~周口店北京原人遺跡~
概要 |
周口店の北京原人遺跡は、中華人民 共和国の周口店にある北京原人の骨や遺物の発掘現場であり、1921年から精力的な発掘 作業により北京原人の骨が発見された。1987年に、ユネスコの世界遺産に登録さ...→詳細を見る |
~天安門広場~
概要 |
現在は一般公開され、城門に登って、天安門広場を見渡すこともできる。 天安門は1417 年(明の永楽15年)に築造され、承天門と名付けられた。その後、明の末期に焼失し、清の 順治8年(1651年)に改築され、現在のように拡充され、その名も天安門と改称され、...→詳細を見る |
~景山公園~
概要 |
景山公園は、清代の皇室の禁苑を中華民国期の1928年に一般に開放したもので、23万㎡を 有する。景山の高さは44.6m(海抜88.7m)で、頂上に三層の万春亭がある。清代には 京城の中で最も高い地点だった。万春亭からは南に広がる北京の城下を一望でき、特に...→詳細を見る |
~金山嶺万里の長城~
概要 |
金山嶺長城. 明代(1368~1644)の内約200年の間に、大規模な長城改築工事 を行われました。金山嶺と司馬台長城は名将戚継光が率いた軍隊が、万暦6年(1578年)と 万暦7年(1579年)に築きあげたものである。機械が無かった当時に、燕山山脈の中での ...→詳細を見る |
~司馬台万里の長城~
概要 |
司馬台長城. 明代(1368~1644)の内約200年の間に、大規模な長城改築工事 を行われました。金山嶺と司馬台長城は名将戚継光が率いた軍隊が、万暦6年(1578年)と 万暦7年(1579年)に築きあげたものである。機械が無かった当時に、燕山山脈の中での ...→詳細を見る |
~慕田峪万里の長城~
概要 |
北京市の北部,懐柔県城の北20km ,燕山山脈の稜線上にある長城。八達嶺長城より遅れて,最近開放された万里の長城見学 コースの一つ。北京市街から70km。創建は南斉年間(479年―502年),明代に改修...→詳細を見る |
~胡同~
概要 |
衚衕(こどう、またはフートン(ピンイン: hútòng))とは、主に中華人民共和国の首都 北京市の旧城内を中心に点在する細い路地のこと。元統治時代の名残である。 なお、 北京語の伝統的な略字、および中国語の簡体字では「胡同」と書き、これに倣...→詳細を見る |
~川底下村~
概要 |
北京から西に約90キロ離れた山中にあります。 約500年前、明の時代に山西省 から移住してきた人々が集まり作られ、その後は北京と山西省を結ぶ街道の宿場として 栄えた集落。 近年整備された国道から大きく外れたため経済発展から取り残されて...→詳細を見る |