故宮の北門・神武門を出て正面にそびえる山を中心とした公園。元・明・清三代の皇室の庭園だった場所で、面積は約23ヘクタール。周囲を赤い壁で囲まれている。
元代には宮殿の一部で「青山」と呼ばれる小山があったが、1420年(明の永楽18年)に元の宮城を取り壊した際の瓦礫と、新しく造営された紫禁城の堀の土砂をこの場所に高く積み上げ「万歳山」と名付けた。また明朝政府が籠城に備えて石炭を積み上げたという伝承から「煤山」とも呼ばれる。
1644年(明の崇禎17年)に李自成率いる叛乱軍が北京城内に攻め入ると、明朝最後の皇帝・崇禎帝は城内で皇后、王子を自らの手で殺害し、唯一逃げ出さずに身辺に残っていた宦官一人を携え景山に逃げ込み、東の麓にある槐の木で縊死した。幼い王子を手にかけるときに皇帝が涙ながらに発した「爾はどうしてこの家に生まれてきたのか」という言葉は、滅び行く王朝の悲しい逸話として現在にまで語り継がれている。その後万歳山は1655年(清の順治12年)に景山と名が改められた。
景山は横一列に並ぶ5つの峰からなり、それぞれの峰には東屋が建っている。中央の最高地点の東屋・万寿亭からは故宮の全景を眺めることが出来る。景山の南側には綺望楼という建物があり、中には孔子の位牌が奉納されている。北側の寿皇殿には清朝歴代皇帝の肖像が安置され、観徳殿は清朝の皇帝・皇后が崩御したのちに棺が一時安置されていた場所だ。崇禎帝が自害した場所は今でも残っているが、当時の木は枯れてしまい、今のものは後世植えられたものだという。