5、 五代宋遼金 907年~1279年
この時期北京は北方の契丹族の遼と金王朝に取られてしまう。
遼の南京
遼王朝のときの北京の名前。今の北京の南西側に位置するが、明清代の
北京よりも規模は小さめ。
天宇寺塔

宣武区にある遼代の建物。北京でも有数の歴史的建造物。
宋 VS 金
北方の金王朝の勢力は強く、宋皇帝徽宗は金王朝に捕まり北京の法源寺
に幽閉される。
金の中都
金時代のときの北京の名称。今の北京の南西側にあった。遼の南京よりは
規模が大きかったが、明清代よりも小さめ。そのころのライバルの南宋の
首都は南京。
盧溝橋

金代の1189年に建てられた橋。北京南西部に位置する。
中国3大名橋のひとつで、月の名所でもある。マルコ・ポーロも訪れた
ことがある。交通の利便のために建てられた。
6、元代 1271年~1368年
元時代の北京は大都と呼ばれていた。モンゴル族の支配により北京には
モンゴル風の文化と漢族文化が混在していた。
元の大都は今の北京中心部とほぼ同じ位置にあった。規模は明清代より
も北に位置していた。
マルコポーロもこの大都を訪れた。
白塔

現在の西城区にある元代の建築物。