1980年5月に、深セン、珠海、汕頭(広東省)、アモイ(福建省)に「経済特別区」の設置が決定され、80年代に積極的に開発が進められた。経済特区は関税の免除、100%外資企業の認可、税制面での優遇など、外国資本進出のための環境整備を行うことで、経済発展の呼び水にしようというものだった。
さらに84年には上海、天津、広州など14都市がに「沿海開放都市」となり、「経済技術開発区」が設けられた。88年に海南島が広東省から分離、昇格、海南省として第5番目の経済特区となった。そして、92年には大型国家プロジェクトとして上海「浦東開発区」が立ち上げられた。
こうした一連の構想は成功し、華僑資本や欧米資本が安価な労働力と有利な条件にひかれて、特区に押し寄せた。87年10月の13全大会では、経済特区による沿海地区発展の現実を受けて「沿海地区経済発展戦略」を提起、その後、長江沿岸、内陸部諸都市へと拡大させる「全方位・多元的開放戦略」へと拡大させた。
現在でも経済特区は工場が集積し、金融システムも整った中国で最も発展した地区である。開発前にはただの農地に過ぎなかった深センは、いまや人口300万人を超える中国で最も豊な都市となった。
現在、各都市に「経済技術開発区」が林立し、外資呼び込みに懸命になっている一方で、経済特区や経済技術開発区という外資優遇システムはその歴史的使命をほぼ果たしつつあるという考えも強くなっている。今後はその廃止が俎上に上ってくるかもしれない。経済過熱の問題とも相まって、経済技術開発区の整理なども進むだろう。