北京中心部から北西12キロの郊外に位置する。中国国内で現存する最大の皇室庭園で、海外でもサマーパレスとしてその名が知られている。
頤和園は1750年、当時小規模な行宮があった場所に乾隆帝が庭園を造営したのが始まりで、当時の名を清漪園といった。
この乾隆帝の庭園は1860年の第二次アヘン戦争で英仏連合軍に破壊されてしまったが、その後、西太后が海軍の軍費白銀3000万両を流用して、避暑宮として再建、名を現在の頤和園と改めた。ちなみにこの時の海軍費流用は、日清戦争で清国の北洋艦隊が日本の連合艦隊に敗れた原因の一つと言われている。
しかし再建された頤和園も1900年の義和団事件の際に北京に闖入した八カ国連合軍により徹底的に破壊されてしまう。その後1903年に西太后により再度再建されたが、その時の規模が今日まで伝わっている。
頤和園は主に北側の万寿山と南側の昆明湖から成り立っている。総面積は290万平方メートルで、その4分の3が湖だ。園内には東側に集中する宮殿区をはじめ寺院、楼閣、東屋、回廊、石橋、石船など約100の建造物が散在していて、特に昆明湖畔から万寿山上にそびえる仏香閣を望む景観は、天安門、万里の長城、天壇公園などと並び北京を代表する風景といえる。