毛沢東によって提唱された芸術言論自由化運動。異なった様々の内容の学説や作品を自由に発表したり論争させることで、学術・芸術文化の活性化をはかり、同時に共産党と非党員の関係修復をもめざした。文学や芸術については「百花斉放」、学術については「百家争鳴」という。
1956年1月、毛沢東が提唱。6月、党宣伝部長の陸定一による文化人への講演が人民日報で発表されるや本格化した。共産党や毛沢東は人々から自由な意見を求めるとし、知識人や学者、芸術家らに対して、党や国家への批判を奨励した。多くの言論が入り乱れ、党や国家への批判、意見が相次いだ。
あまりに厳しい批判に驚いた毛沢東は1年後の57年6月、「反右派闘争」を開始。運動期間中に目に付いた知識人らに「右派」のレッテルを貼って弾圧した。以後、知識人や民主党派は長い沈黙を強いられることとなった。
改革開放時代の86年5月にも、胡耀邦総書記は「百花斉放・百家争鳴」運動の再開を指示し、全面的に言論の自由化を唱導した。これが、その後の学生知識人らの民主化要求につながり、党長老や保守派が反発、提唱者の胡耀邦は失脚した。
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